博物館「網走監獄」
「網走監獄」

博物館「網走監獄」正面ゲート入口の正門です。網走刑務所二見ケ丘農場の門を再現したものです。
旅情報 博物館「網走監獄」
博物館「網走監獄」は、1984年まで実際に網走刑務所で使われていた獄舎を天都山の中腹に移築したものです。刑務所施設の近代化計画で新しい舎房が完成した時に移築復元したものです。
正門

網走刑務所の正門を原寸大で再現したものです。煉瓦造りの歴史ある網走刑務所の威厳が感じられます。
庁舎 網走監獄の監理部門の中枢

1912年に建てられた建物は、明治期の典型的な官庁建築スタイルで、屋根には二個の窓が設けれています。庁舎には職員の執務室や面会所・所長しつなどがあります。
味噌醬油蔵と休栢所

休泊所は、本拠地から遠く離れた場所で作業をする時に使われたもので、別名「動く監獄」と言われたそうです。
厳しい囚人労働

移送中

赤い囚人服に手錠、さらに囚人同氏は輿縄で結ばれている
哨舎(見張所)

哨舎は、見張所のことで、1890年に内務省が制定した図面に基き作成されたもので、4棟の哨舎が展示保存されています。
五翼放射状平屋舎房
板塀の舎房外観

薄暗く寒々とした房内通路

中央見張所

第三舎房

舎房

舎房内の竪格子は、中から向かい側の舎房が見えないように工夫されています。堅いヤチダモの木で作られた扉は、外から施錠された堅牢な造りをしています。
映画破獄で知られた脱獄の様子を再現していました

通路から見える隣の舎房

独居房の高い窓

旅情報 五翼放射状平屋舎房
放射状に広がる五棟の舎房
舎房の建物の中に入るとすぐに八角形の中央見張所です。この見張所から左右五方向に五棟の舎房が展開されます。ここには独居房、雑居防あわせて226房あり、最大700人を収容できました。
鏡橋

旅情報 鏡橋
囚人が、網走刑務所に収容される時と刑期を終えて出所する時に渡るのがこの鏡橋です。「水面に自分の姿を映し、襟を正し、身を清めよ」という言葉から名前がいつしか付いたそうです。 博物館「網走監獄」では、駐車場から正面ゲート入口に行く途中に再現されています。
現在の網走刑務所
網走刑務所の正門

正門から臨める刑務所庁舎

旅情報 「網走監獄」の歴史
明治時代初め、政府はロシアの南下政策に備えるために北海道開拓を急ぐ必要があり、維新の混乱から数多くの政治犯・思想犯を抱えていました。
その状況下で、これらの囚人を労働力として使うことが発案され、北海道に集治監が設置されました。
網走監獄は1890年釧路集治監の外役所として開設されました。ここで1200人もの囚人が網走から旭川まで163km中央道路の開削に当たっています。
博物館「網走監獄」は、北海道開拓の礎となった囚人労働の歴史を語り継ぐ貴重な存在です。
石北本線
網走駅

網走駅1番線停車中のキハ183特急「大雪」



旭川駅3番線に到着した特急「大雪」

旅情報 石北本線
石北本線網走駅から旭川まで特急列車の旅です。 キハ183系の北海道を代表する列車です。2023年には完全に引退する話をききますが、その前に乗車できたのは想い出に残ります。